採  物(とりもの)

 採物とは、神楽やその他の神事芸能で舞人が手に持つ品を言う。
採物には「清め」という要素と「神降ろし」という要素がある。
 つまり、採物を手に持って舞う事により、採物に降臨した神を舞人に取り憑かせ、神懸かりになるための神の依代(よりしろ)としての機能が起こるものとされた。
 石見神楽では、必ず手に何かを持って舞うのが普通である。

(へい)

 古事記、日本書紀などには「御幣」、「神幣」、「幣」と言う表記が見られる。
 幣は神への供え物としての綿麻布、絹布の類いであったようだが、社殿に立てて神霊の依代として、あるいは神殿の装飾として、また、参拝者への祓具としても用いられるようになった。
 今日の幣の形として一般化したのは、竹または木の幣串に白色などの紙垂(しで;垂、四手とも表記)を挟んだ形状のものである。
 石見神楽では、神に扮する者が手に持って舞う。


 右の写真は幣と扇を持つ須佐之男命。
 (浜田市 有福神楽保持者会)






 刀身の両方に刃を付けた、いわゆる諸刃の刀で、古くは「つるき」と呼ばれていた。
剣は実践的な機能を持つ武器としての役目もあったが、島根県・荒神谷遺跡から出土した銅剣からも分かるように、祭器としても作られていた。
 石見神楽では、正手、逆手、後ろ手、あるいは上段にと様々な形をとり、その扱い方は右手を滑らかに大きく旋回して舞うなど、熟練を要す。 
茅の輪(ちのわ)

 石見神楽での茅の輪は、鐘馗が剣とともに持つ採物で、直径60〜70cm位の竹で作った輪に白色などの紙垂を巻き付けた物である。
 茅の輪は、六月祓いの時の疫病を払う蘇民将来(そみんしょうらい)の伝説から来ており、茅の輪を腰に付けていると災禍が祓われると信じられ、茅の輪くぐりなどとして各地の風習に残っている。

 左の写真は茅の輪を手にする鐘馗。
 (益田市 津田神楽社中)

















弓矢(ゆみや)

 古くは狩猟用や武器として使われていた。
また、中世の武士を象徴する武具であったことから、武士は弓矢取りなどと呼ばれていた。
 石見神楽では塵輪の随人「高麻呂」、八幡の「八幡麻呂」が使う。
ざい

 鬼の金棒を象徴したもので、長さ80cm位の竹の棒の両端に20cmばかりのふさふさとした切り紙を付けたものである。
 石見神楽では鬼以外に「黒塚」の剛力(ごうりき)が金剛杖の代わりに使用する。


 主として、金属製球形の鳴物で、下側に細長い孔を設け、内部に銅の珠などを入れ、振り動かして鳴らす楽器である。
 鈴は呪力があるとされ、古来神事や装身具として用いられていた。


 写真は幣と鈴を持って舞う十羅刹女
(浜田市三隅町 松原神楽社中、 画像提供:yuk☆kiiさん)







(おうぎ)

 扇子(せんす)ともいう。
同じ涼をとる団扇(うちわ)は中国から入ってきたものであるが、扇は日本で生まれたものである。
 その最も古いものは20〜30枚のヒノキの薄片の一方をとじ、他方を糸につらねて開閉できるようにした檜扇(ひおうぎ)で、その後に紙扇ができたと考えられている。
 紙扇も平安時代末期に発達し、これが檜扇と共に中国に渡り、さらにヨーロッパに広まっていった。
この時代の扇は蝙蝠扇(かわほりおうぎ)といって、骨が紙の片側に張り付けてあるものであった。
室町時代になって、骨の両側に紙を貼った扇が中国から逆輸入されるようになったのが現代の扇の原型である。
 今日でも和服の正装の必携の服飾品として、また、謡曲、邦楽、舞踊や落語にも用いられている。

 神楽で使用される扇は、畳んだ状態で末がすぼめられた形の「鎮扇(しずめおうぎ)」で、主に神に扮する者が手に持って舞う。
 幣と扇で形作られる様々な「舞の形」は威容感が漂う。