管 理 人 の 部 屋(6)



ぼけ防止 2007年10月28日
猛暑続きの長い夏が過ぎ、気が付けば秋の深まりを感じる今日この頃・・・およそ5か月振りの更新となってしまいました。

この間、地域格差の中で底辺を這いずり回っている仕事の方は、未だに明るい兆しを見い出すこともなく、ただ徒に時が過ぎ去っていく日々を過ごしております。
そんな閉塞感を感じる中、現状を少しでも打破する切っ掛けになればと、数年振りの資格取得に挑戦しておりました。
事の発端は、会社の若い社員に私自身の過去の反省を踏まえて、常日頃から「自分自身に付加価値をつけなさい。そのためには、若いうちから勉強をする習慣を身につけなさい。資格取得もその一つ!」と偉そうに言ってきた手前、当の本人が何かしなければと思い立ったのです。
そして、何よりも廃用症候群になってしまいそうな脳をたまには使い、せめてもの「ぼけ防止」にと思ったからです。

お陰さまで、若い社員はただいま資格取得に向かって猛勉強中(のはず!?)・・・私も運よく、7月と8月に受験した試験に2つとも合格しました。
勿論、初めて挑戦するジャンルの資格でしたので、易しいレベルからのスタートでしたが、それでもこの歳になっても受かると嬉しいもので、勢い余って今は更に上位のレベルの資格取得に向けて、一日30分の勉強を続けるようにしております。
とは言っても、普段仕事をし、付き合いや飲み会が重なると、これが中々難しく、何度も何度も三日坊主を繰り返している有様・・・ビッシリと書かれた600ページ近くにも及ぶ分厚いテキストを机の上に置いておりますが、いよいよ来月に迫った試験には、とても間に合いそうにありません。

この数か月、こんな生活をしておりましたが、先日は今年2度目の神楽を楽しむことが出来ました。
しっとりとした気品と鳥肌が立つような「岩戸」の舞い、格調高く重厚感のある動かぬ「鐘馗」の舞い、神楽歌に口上、そして舞い上げと・・・そんな込み上げてくる魂の震えを感じさせる舞いを、いつまでもいつまでも追い求めていたいものです。


奈良・山の辺の旅 2007年5月27日
先日、およそ一年振りに念願の奈良を訪ねることが出来ました。
昨年6月に飛鳥地方を訪れてからというもの、奈良の魅力に取りつかれていたのです。
本来なら昨秋にも訪れたかったのですが、どうしてもホテルの予約が取れず、奈良を訪れたいという思いをこの春まで持ち越しておりました。
とは言いましても、仕事の都合で休日出勤しなければならないことも多々ある情けない我が身・・・果たして行かれるものかどうか分かりませんでしたが、例えキャンセルしなけばならなくなったとしても、取り敢えず泊まる所だけはと一ヶ月程前に安いホテルを予約し、運よくこの日を迎えることが出来たのです。
仕事の日であれば起きることも億劫なものですが、この日の朝は目覚まし時計よりも早く目を覚まし、家族の誰からも叩き起こされることもなく、布団の中から軽々と起き上がりました。
まさに、幼い頃の遠足の日の朝のようです。

新大阪の駅に着いたのが、9時過ぎだったでしょうか。
大阪への乗り換え列車を待っている時、ある御婦人に声を掛けられました。
「この電車は三宮に止まりますか?」・・・うーん、どうだったか!?・・・確か三宮は大阪方面で快速列車は止まるはず・・・頭の中の遠い記憶を呼び起こし、「はい、止まりますよ」・・・とは言ったものの、自信がありません。
しばらくすると、車内アナウンスで「止まります駅は・・・三宮・・・」。
そのアナウンスにほっとして頭を下げると、かの御婦人と目が合い、にっこりと「ありがとうございました」と小さく会釈されました。
これが、この日初めての人様との会話でした。
そのお相手は白髪で、おそらく70歳代後半の品の良い御婦人・・・あぁ〜今回も若い女性とは縁がないか・・・そんなアバンチュールな出来事を全く予感させない旅の始まりでした。

雑踏の大阪駅から関西本線に乗り換え、しばらくすると車窓の景色が変わっていくのが分かります。
つい先程までは、人混みと直線の集合体に形造られたビルの塊の景色から、田圃や畑、新緑の景色へと変わっていくのです。
一旦、奈良駅で乗り換えの休憩をし、桜井本線で今回の旅の最初の目的地である三輪へと向かいました。
先ずは、三輪山を神体と仰ぐ大神神社に参拝し、山の辺の道を歩き始めたのです。
山の辺の道は、寄り道せずに歩いても、全行程で16Kmにもなるそうですが、とても今日半日の時間では歩き尽くせるものではありませんので、今回は無理をせず、半分の道のりを歩くことにしました。
途中、狭井神社、久延彦神社と参拝し、最初に腰を下ろしたのが静かな緑の中にある小さな喫茶店。
幸いにもお客さんは私一人・・・戸外の椅子に座ってクラッシック音楽を聞きながら、辺り一面瑞々しい緑の中で頂く珈琲の味は格別でした。
店の若いマスターと女性の三人で交わす会話も、自然と弾むというものです。
帰り際には、親切にも万葉歌集の冊子を頂き、御礼を述べて先へと歩き出しました。

道の途中ですれ違う人とも、自然と出る挨拶を交わしながら、トボトボと短い歩幅を進めます。
それにしても、すれ違う人ばかりで私の後ろには誰一人として姿が見えません。
みんな天理方面から歩いて来ているようです。
そんな人達の殆どは、年配のご夫婦や家族連れで、中にはにこやかに手をつないで歩く若いカップルの姿も・・・そんな仲の良い姿を横目に見やり、内心は指をくわえて羨ましく思いながら、着いた先は檜原神社。
ここで喉の渇きを温めのお茶で潤し、昼食のにゅうめんを喉に滑らせ、うっすらと掻いた汗を拭いました。

遅い午後の昼食の後は、神籬遺跡や景行天皇陵を見て周り、崇神天皇陵の手前で本日二杯目の珈琲を頂くことにしました。
喫茶店といっても、民家をそのまま喫茶店に開放したもので、年配の御夫婦二人で営む店の和室から庭の向こう越しに、小高い緩やかな稜線を描いた円錐形の三輪山が借景のように望める、何とも贅沢な場所なのです。
この店でもお客さんは私一人・・・夫人に差し出された珈琲を茶筅で抹茶を点てるようにして頂き、御夫婦との一時の会話を楽しむことが出来ました。
こういう時の流れを、至福の時というのでしょう。
旅先では、その土地の人との会話も楽しみの一つであり、人情と情緒に触れることでもあります。

「もう少しゆっくりしていって下さい」というお言葉に甘えたい気持ちもありましたが、「またお邪魔させて頂きます」と店を後にし、崇神天皇陵から長岳寺へと足を運びました。
この頃から、両足のアキレス腱の辺りと左膝の後ろ側の痛みが増してきました。
日頃の運動不足を悔いながら、痛みを堪えて柳本駅に着いたのは、悲しいかな奈良方面への列車が出た後でした。
30分近くの待ち時間を、痛む足を休ませようと駅のベンチで過ごし、次の列車で天理へと向かいました。
石上神宮のある天理駅に着いたのは、夕暮れ時の6時を回った頃・・・それほどの長い道のりではないだろうと少々高をくくっていましたが、思った以上の道のりで、その上に足の痛みも手伝い、石上神宮に着いた頃には長くなった春の日が落ちかける頃でした。
人気の全くない境内での参拝を済ませ、再び天理駅まで戻って奈良に着いた頃には、時計の針がゆうに8時を回っておりました。

やっと食事にありつける・・・遅くなった夕食をと思い始めましたら、どういう訳か無性に身体が焼肉を要求してくるではありませんか。
精を付けたいと老いぼれた身体が無責任にも反応したのでしょう・・・痛む足を引きずりながら、運よく見付けたホテルの近くの焼肉屋の暖簾を潜り、今までの人生で記憶のない何とも寂しい「一人焼肉」を始めたのです。
生ビール三杯に、塩タン、ホルモン、カルビに鶏のもも肉・・・etc。
少なく見積もっても、おそらく今日一日で15Km以上は歩いたはず・・・足の痛みを堪えながら消費したカロリーをはるかに超える程のカロリーを摂取して、その夜は早目に床に就きました。

明けて翌日、狭いホテルの部屋の窓から見える奈良の空は、薄曇りの朝を迎えておりました。
素っ気ない朝食を済ませ、性懲りもなく今日もまた歩くことにしました。
一晩では足の痛みが引くほど若くはありません。
おまけに、新陳代謝の萎えた身体に昨日からの疲れも残っておりましたが、全く歩けない程の痛みではありません。
一歩一歩、春日大社へ真っ直ぐに伸びた緩やかな長い坂道を歩き始めました。
途中、鎌足の子である藤原不比等が現在の場所へと移し、藤原氏の氏寺として興隆を深めた興福寺で足を休めました。
早朝のせいか参道を歩く人通りは殆どなく、何頭かの鹿が仲良く餌を食べておりました。
朱色の鮮やかな春日大社、そして、若宮おん祭りで有名な若宮神社への参拝を済ませ、手向山八幡宮、三月堂、二月堂へと散策を楽しみました。
手向山八幡宮を後にした頃から人通りが目立ち始め、東大寺大仏殿に着いた頃には、「観光地・奈良」を思い出させるような人混みになっていました。
修学旅行生、海外からの観光客、団体旅行者に家族連れ・・・中には、私には目の毒になる若い二人連れの姿もちらほらと・・・。

この頃から、朝の薄曇りの天気も青空へと変わり、身体も汗ばむようになってきました。
足の痛みもピークに達しようとしていましたので、ここで少し早目の昼食を取ることにしました。
昼食の後は、当てもなく辺りをウロウロとするばかりで、これ以上長く歩き回ると、もはや足の悲鳴が聞こえてきそうな状態です。
ここで無理をせず、今回の奈良の旅は終了とし、父親の元気な帰りよりも土産を楽しみに待っている出来の悪い子供達への土産を買い求め、帰りの電車に乗ることにしました。
大阪駅では、摺り足で歩く無様な格好になり、乗り換えのホームに続く階段の手すりに掴まった時には、これほど手すりが有り難く思えたことはない程でした。
乗客の少ないローカル列車の中では短い足を精一杯伸ばし、缶ビール二本を飲み終えると何時の間にか気持ちよく転寝をしておりました。

大仏殿の近くで、地元のある方に言われました。
「そんなに奈良が好きでしたら、今度は是非とも冬にいっらしゃい」と。
冬の奈良・・・雪化粧を纏った奈良の景色を想像すると、早くもまた奈良への思いが馳せります。
次回は何時訪れることが出来るか分かりませんが、何度訪れても奈良の町は暖かく私を迎えてくれることでしょう。

【倭は 国のまほろば たたなずく 青垣 山隠れる 倭しうるわし】

こんな旅ではありましたが、興味のある方は下記の「奈良・山の辺の旅写真集」をご覧になって下さい。

奈良・山の辺の旅写真集はこちらから


魂のゆりかご 2007年3月25日
昨日、墓参りを兼ねて帰省して来ました。
そして、およそ五ヶ月ぶりの神楽を拝観する機会に恵まれました。
遠い遠い昔のこと・・・初夏の陽だまりの下、母に連れられてきた田んぼの土の匂いに誘われ、ついつい転寝・・・魂のゆりかごで揺られてる・・・そんな神楽でした。
本当に心地良かった。


祈り 2007年1月7日
平成19年、十二支最後の亥年・・・巡るめく月日の流れは速いもので、今年もまた新たな一年が始まりました。
元日には、余程のことがない限り、この数年毎年続けている氏神様への初詣に行って参りました。
今年は、珍しく深夜まで起きていた末っ子も誘って行きましたが、期せずして今年もまた一番乗りの初詣客となりました。
別に一番乗りを狙っている訳ではなく、たまたま一番乗りになったまでのことですが、やはり人出の少ない時にお参りすると、落ち着いて心静かに手を合わせることが出来るというものです。
初詣と言っても、何時ものように何の御利益を求めてお祈りする訳ではなく、ただただ今年一年を健やかに過ごせればと自分自身に言い聞かせるように、自戒の気持ちも込めて心の中で念じ、静かに目を閉じて来ました。
この頃には氏子の皆さんの客足も多くなり、この後、神楽の奉納を拝観し、お神酒を戴いて近くの氏寺へ向かいました。

明けて二日には、子供達にせがまれて妹家族と一緒に、大宰府天満宮まで足を伸ばして来ました。
朝5時過ぎに、すやすやと眠る子供達を叩き起こし、眠気さを堪えながら福岡まで向かったものの、高速道路を降りた直後から渋滞が始まっておりました。
普段は、高速道路の出口から10分程度で辿り着く道のりを一時間以上も掛かってしまいましたが、幸いにも着いた頃には道中降っていた雨も止んでいました。
学問の神様として崇められている菅原道真を祭る太宰府天満宮の境内は、学業成就、上達などを願う多くの初詣客で賑わっており、拝殿の近くまで辿り着くまで一時間近くも掛かる程でしたが、あちらこちらで見かけた山ほどの御利益を書いた看板を見るにつけ、これでは菅公も堪ったものではないかなと苦笑しつつ、境内を後にしました。
この神社にお参りしたのは数年振りのことですが、次回は梅が咲く頃、静かに境内を散策したいものです。
そして、四日には私の好きな神社の一つである佐太神社にお参りし、仕事始めの五日には営業所を代表して近くの八重垣神社に出掛け、社員の安全祈願のご祈祷をして戴きました。

常緑樹の木々の間から差し込む凛とした陽の光・・・世俗にまみれて、日常は神も仏も忘れてしまいがちな私のような不信人の身であっても、厳かな境内に佇むと清らかな気持ちにさせられる神社。
そもそも我々日本人という民族は、畏敬の念を持って自然を崇拝してきた。
自然に恵みを祈り、その恵みに対して感謝をし、山に川に岩に、そして、小さな草木に至るまで神々の存在を感じながら悠久の営みを続けてきたのである。
それが崩壊し、源泉である日本人本来の魂までもが否定され、置き去りにされている。
節操を失い、精神が浮遊した根無し草のように・・・。
「人間や生き物に欠かせない水は、山の木が作ってくれ、水は緑を育て、緑は水を作ってくれます」・・・生物学者であった昭和天皇の言葉である。
古代の人々は、その水と、水によって作られた命の糧である米、身体に不可欠で万物を祓い清める塩、そして、緑の象徴である榊を神棚に供え、神を祭り、感謝をし、祈りを捧げてきた。
その尊重され、育まれるべき「命」の一文字が、昨年の世相を象徴する漢字に選ばれた。
今年の師走には、明るく希望に輝く世相を表す一文字が選ばれることを祈りたい。


飛鳥の旅 2006年7月17日
先週の14日、久し振りに大阪への出張が入りました。
しかも、運よく金曜日の出張で、翌日から三連休という絶好の休日の機会に恵まれたのです。
しかしながら、出張は6月中旬に決まっていたものの、直近にならなければ実際に休めるかどうか分からない情けない生活を送っていますので、出張の翌日からの行き先を考えることもなく、あっという間に一ヶ月が過ぎてしまいました。
15日の宿泊先のホテルの予約を手配したのは、何とか休めそうな目途が付いた前々日の木曜日になってのこと・・・こんなことで、ン十年振りの一人旅が始まったのです。

行き先を決めたのは近鉄鶴橋駅に着き、たまたま南大阪線の電車が発車間近の時でした。
数日前に買い求めて、殆どページをめくっていなかったガイドブックに急いで目をやり、飛鳥地方を訪ねてみようと思い立ったのです。
先ずは、観光バスの発着地点の一つである橿原神宮前駅で降り、橿原神宮を訪れることにしました。
朝の九時とはいえ、既に気温は上昇・・・折りしも近くの球場では、高校野球の奈良県大会が行われていました。

神宮での散策を終え、アイスコーヒーで喉を潤したあと、観光バスの通称「かめバス」に乗ろうとしましたが、どうやら観光はオフシーズン。
バスの便は殆どなく、汗を乾かしたいこともあって流しのタクシーに乗って一路「甘樫丘」へ・・・。
といっても、タクシーから降りたのは登り口近くのバス停付近、そこからは徒歩で行かなければなりません。
仕方ないやと思いつつ、汗を噴き出しながら頂上へ。
あとから思いますと、ここから散策というような生易しいものではない、炎天下の下での過酷なウォーキングが始まったのです。

レンタサイクルでスイスイと走り行く観光客を羨み、下は出張帰りでスラックス姿の私は、顔を歪めながら一方の手にはバッグとカメラ、もう片方の手には水で湿らせたタオルを持って汗を拭き拭きトボトボと・・・。

そのあと向かったのは、水落遺跡、飛鳥寺、万葉文化館、飛鳥板蓋宮跡・・・ここで遅い昼食を頂き、帰り際には店の人に元気付けられて気を取り直し、またもやトボトボと・・・こうなったら、最後まで歩き通してやる・・・残り少ない脳みそが耳から溶け出してきそうな暑さの中、この頃には年甲斐もなく意地になっておりました。

石舞台古墳では、古代人のパワーに圧倒され、聖徳太子の生誕の地としても知られる橘寺では、課外授業で訪れていた女子高校生に混じって心静かに(?)手を合わせ、川原寺跡の前で橘寺への参道の入口でもあるお地蔵さんの前で腰を下ろし、ここで一服・・・この時、左手に目をやると、既に時計の針が四時近くを指しているではありませんか。

最寄りの飛鳥駅まで徒歩で行くには、幾らなんでも時間が掛かり過ぎてしまいそうです。
夜には、竹馬の友との楽しみな再会を約束をしておりましたので、徒歩での散策は此処で断念し、急遽タクシーを呼んでそそくさと高松塚古墳の外観と壁画館を見て回りました。

全行程で10Km近くは歩いたでしょうか。
こうやって、何の計画性もない行き当たりばったりの飛鳥の里の散策は終わりました。
散策というより、ダイエットのためのウォーキングさながらの一人旅ではありましたが、人にも時間にも煩わせられることのない一日を過ごすことが出来ました。
初めて訪れた飛鳥の里・・・見知らぬ私に親切に道順を教えて下さった明日香の皆さん、ありがとうとうございました。

酷暑の中、こんな暑苦しい旅ではありましたが、興味のある方は下記の「飛鳥の旅 ・ 写真集」を御覧になって下さい。

飛鳥の旅 ・ 写真集はこちらから


←管理人の部屋(1)  ←管理人の部屋(2)  ←管理人の部屋(3)  ←管理人の部屋(4)  ←管理人の部屋(5)

管理人の部屋(bV)→