神々の抱擁

古代史と神楽に魅せられて

須佐神社(島根県出雲市佐田町)

平成22年の夏は、異常とも言える酷暑であった。
平年であれば、盆を過ぎ、処暑を迎える頃になると暑さも和らぎ、朝夕はひんやりと感じられるようになるものだが、今年の夏は各地で連日の猛暑日が続いた。
そんな気の狂いそうな暑さのせいか、あちこちで聞く話によると、エアコンをはじめ色んな電化製品が悲鳴を上げ、修理や買い替えの依頼が相次いだそうである。
業務用のパソコンもその一つで、休日になると空調の止まった、茹だるような暑さの部屋に閉じ込められたままの状態が続いたせいか、正常に作動しなくなったという話を耳にした。
かくいう私のパソコンも、気のせいか、このところ何となく調子が悪い。
使えないという程ではないのだが、何時も通り作動しないことや、今までが起きなかった事象が幾つか起きている。
こうしてキーボードを叩いている最中も、そろそろこのパソコンも寿命が近づいてきたのかと、不安が胸を過ぎるのだが、せめて500円玉が貯金箱の缶一杯になるまでは、何とか凌ぎ切って欲しいと願っている。

そんな耐え難い暑さが記憶を思い出させたのか、先日、何年振りかで八雲の風穴という所に出掛けてみた。
皆思うところは同じなのか、思った以上の人出で、中にはわざわざ遠方から来られた方もいらっしゃった。
この風穴の最も気温の低い所では、真夏でも6℃になるそうである。
この日も外気温が35℃を超える暑さのせいか、6℃には僅かに及ばなかったものの、それでも石室の中の温度計は8℃を指していた。
8℃といえば冷蔵庫の中にいるようなもので、しばらくいると肌寒く感じられる程である。
石室の外に出ても、付近一帯には地下水脈が流れているお陰で、うっとりとするような涼やかな心地好さだった。
桟敷でも設えてあれば、ビールでも飲んで、しばらく寝転がっていたい気分だ。

その八雲の風穴から程近い所に、須佐神社が鎮座されている。
本殿の様式は大社造りで、県の有形文化財にも指定されている。
須佐之男命を主祭神として祀り、妻の稲田姫命とその両親の足魔槌命(足名椎)・手魔槌命(手名椎)をともに祀っている。
この配神の三柱は、天文年間まで須佐川を挟んだ対岸の地に祀られていたとされ、今日では疲れを癒してくれる温泉施設「ゆかり館」に様変わりしている。
出雲風土記によると、各地を開拓した須佐之男命が当地に来て最後の開拓をし、この地を自らの名と同じ須佐と命名して御霊を鎮めたとある。
須佐之男命は、大蛇退治で有名な神話のヒーローであるが、八岐の大蛇とは何者か、それとも何かの自然現象を物語っているのか、あるいは須佐之男命とは一体何者であったのか・・・当時の大陸との交流や数々の遺跡の発掘で蘇る出雲王朝の存在、そして大和政権の誕生へと続く古代には、単に神話の世界と片付けられない魅力がある。

須佐神社は山間にある、それほど大きな社でもなく、また有名でもなかった社であるが、不思議な霊験があるとされ、近年のパワースポットブームに乗って、遠方から訪れる方が後を絶たないようである。
江原啓之氏の神社紀行でも聖地として紹介されたそうであるが、私にはパワーを感じる能力が全く備わってないようで、何処の神社を訪れても、いわゆる不思議な霊験というものを感じたことがない。
ただ、畏れというものは、幼い頃から幾度となく感じたことがある。

この春、初めて比叡山延暦寺を訪れた時のことである。
生憎、この日は朝から愚図ついた天気で、京阪電車からケーブルカーとロープウエーを乗り継いで、山頂に程近いバス停に着いた頃には、傘も全く役に立たない雨風が横殴りに襲ってきたのである。
天気の良い日であれば、琵琶湖の美しい湖面が望めるのであろうが、今日ばかりは厚い雨のカーテンで覆われてしまっている。
一緒に訪れた娘は「もう帰ろうか」と涙声になっていたが、京都駅行きのバスの時間にはまだ早く、かと言ってバス停の屋根は横殴りの雨には何の意味もなさなかった。
仕方なく傘を横向けにしたままじっとしていると、濡れそぼった父娘を見かねたようにバスがやってきた。
雨宿りにと飛び乗ったバスは、濡れねずみのような私と娘を延暦寺の入口まで運んでくれた。
バスセンターに着くと、先ずは濡れた身体をタオルで拭き、ビニール製の雨合羽を足許を見られたような、思わぬ高値で買い求めて、雨よけと寒さしのぎに身に纏い、やっと一息ついたのである。
さてさて、これからどうしようかとバスの時刻表を覗いても、京都駅行きの時刻までには一時間以上も待たなければならない有様・・・折角ここまで来たのだから、せめて根本中堂まではと気を取り直し、娘と重い足取りを進めたのである。
やっとの思いで辿り着いた根本中堂は、言葉では軽々しく形容することが憚れる威容感が漂っており、ただただ気圧されるばかりであった。

須佐神社の本殿の背後に、樹齢1200年ほどと推定される杉が聳えている。
幹周りは6メートルにもなる大杉で、凛として天に向かっている。
しかしながら、心無い人達によって幹が傷付けられるのを防ぐため、数年前から垣が廻らされたままとなっている。
何を思って、このような言語道断と言うべき仕業をするのか、言うまでもなく許されざる行いである。
幾ら日進月歩の世の中であっても、決して畏れというものを忘れてはならない。

境内の木陰は一時の清涼剤であったが、参堂を歩き終える頃には、またもや汗ばんできた。
茹だるような暑さに閉口しつつ、晩酌のビールを楽しみにハンドルを握った。

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