神々の抱擁

古代史と神楽に魅せられて

御井神社(島根県簸川郡斐川町)

2月といえば例年寒さが厳しい時期であるが、この冬は殆ど雪が降らず、近年にない暖冬の年であった。
いくら寒さ暑さが苦手な身であっても、冬は冬らしく、夏は夏らしく日本の四季折々の風情と匂いをいつまでも感じたいと思っている。
しかしながら、余りにも今年のような冬らしくない日が続くと、刻一刻と地球温暖化が進んでいると肌身で感じてしまう。
このままでは更に自然が破壊され、生態系への影響が今以上に深刻化した問題となるであろう。

そんな冬のある日、数年振りに御井神社を訪れてみた。
国道9号線から荒神谷遺跡への入口を入り、JR山陰本線の高架下を潜ると、程近い所に御井神社が鎮座されている。
前回訪れたのは、我が子の無事の誕生を祈願しに参拝した時であるから、思い返せば随分と月日が流れてしまっている。
その我が子であるが、一体何番目の子であったか・・・今となっては、思い出そうにも思い出せない。
全く持っていい加減な父親であるが、幸いなるかな、お陰さまでどの子も健康で、それなりに成長している。

ここ御井神社は三井神社とも表記され、出雲風土記には御井社、延喜式には御井神社と記されている由緒ある社である。
社名の由来は、生井(いくい)、福井、綱長井(つながい)という三つの井戸があることによるとされる。
主祭神は木俣神(御井神)で、大国主神の御子神にあたる。
古事記は、この大国主神の数々の物語を記述するにあたって、まず、この神を大穴牟遅神と表記している。
その大穴牟遅神が、幾多の試練を乗り越えて大国主神となっていくが、まず最初に因幡の素兎を助け、八上比売の愛を得ることから物語は始まっている。
やがて八上比売は身ごもり、臨月となった姫は大国主神に会いに出雲大社へと向かったが、正妻である須勢理姫命の立場を慮り、会わずに引き返したという。
そして、神奈備山の麓の直江の里まで帰った時、産気づいた姫は玉のような御子を産んだのである。
そこで、生井、福井、綱長井の三つの井戸で御子に産湯を使わせて木の俣に預け、自らも身を清めて因幡に帰ったと言われている。
この御子が木俣神と呼ばれ、安産延命と水の守護神として信仰されている。

母神である八上比売は、心姿の美しい女神であったと言われている。
その姫が正妻の立場を慮り、愛する人の御子を授かりながらも自ら身を引いた物語となっているが、今の世であればと、下世話にもついその先の事まで想像してしまう。
その世の中の出来事といえば、日常茶飯事のように悲惨な事件が相次いでいる。
中でも、我が子をいとも簡単に殺めてしまう事件や、短絡的で身勝手極まりない殺人事件には、悲しみと強い憤りを覚える。
このような殺人事件もさることながら、いじめによる事件も後を絶たない。
私の幼い頃には、想像すら出来なかった事ばかりである。
何故、日本という国はこのような社会になってしまったのであろうか。

我が国は戦後の混乱から這い上がり、高度成長を遂げて世界でも有数の経済大国になった。
しかし、この輝かしい繁栄とは裏腹に、繁栄というその光によってもたらされた陰は、有形無形を問わず社会構造などに多くの変化をもたらした。
そして、日本という「国の形」が経済成長という名のもとに等閑にされ、内面から蝕まれていったのではなかろうか。
つまり、今日の多くの社会問題は、決して戦後60年を過ぎた現今の経済成長の姿とは、全く無関係ではないと私には思える。

物事には、必ず二面性がある・・・善きことあれば悪しきこと、得るものあれば失うものもある。
大切なことは、物事の表裏を弁えることであろう。
とは言いつつも、将来の日本に希望が失われた訳ではない。
明も暗も、そういう過去によって今を生きているこの現在があり、その現在が将来の姿形となっていく。
過去から現在、そして現在から未来へと、何時の世も人々の歴史は繋がっていることを肝に銘じながら、神社という清浄な空間を通して、古人から伝わる無言のメッセージ感じ取りたいものである。
そこには、必ずや未来に繋がる何かが残されている。

曇天の空の下、安産の守護神として信仰されている御井神社を後にする時、山本有三の名作である「真実一路」の中の、ある一節が脳裏に浮かんだ。
「女が母親になることは何でもないことです。でも、母親たることはなかなか出来ることではありません」。
母たること、父たること・・・心に響く良い言葉だ。

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