神々の抱擁

古代史と神楽に魅せられて

美保神社(島根県松江市美保関町)

八月の夏の盛りを過ぎたとはいえ、まだまだ残暑が厳しい九月初旬のある日、思い立って美保関に車を走らせた。
中海に反射する日差しが目を細めるほどに眩しい。
島根半島の東端に位置する美保関は、今日のような天気のいい日にめぐり合うと、秀峰「大山」が一望できる漁業の盛んな町でもある。
美保関湾に面した道端や、美保神社への参道脇に店を構える土産物屋では、焼きいかを売るおばちゃん達の声が響いている。
焼きいかを焼く香ばしい匂いに、ついつい釣られそうになる。
焼きいかもいいが、炎天の下で汗を垂らしながら醤油と生姜をかけただけの冷えた「いかそうめん」を食べるのもまた格別である。
しかしながら、近年海辺でいかそうめんを食す機会にめぐり合うことがない。
残念ながら、ここでもいかそうめんにありつけなかった。

美保関湾から神社までは、ほんの目と鼻の先である。
鳥居をくぐり、手水舎で身を清めて拝殿に向かう。
今日は、何組かの「お宮参り」の参詣客がいらっしゃるようで、我が子の健やかな成長を願いつつ、静かに順番を待っている姿が目に入った。
一人の私は、これといって何をお祈りする訳でもなく、とにかく何事もないようにと二拝二拍手一拝の拝礼を行う。
本殿は、千木の先端が垂直に切られた向かって左側が事代主命を祀り、千木の先端が水平に切られた向かって右側が三穂津姫命(みほつひめのみこと)を祀っている。
この三穂津姫命は、高天原の斎庭の稲穂を持ち降って農耕を勧めたので、農家の崇敬が篤く、また、安産守護の信仰ともなっている。

一方の事代主命は、大国主神と神屋楯比売命(かむやたてひめのみこと)との間に生まれた長子の神で、託宣を司る神であったと言われる。
天孫降臨に先立ち、天津神の使いの神たちが出雲の伊耶佐の浜に降り立って父神である大国主神に国譲りを迫った時、活躍した神でもある。
この時、事代主命は美保の岬に出掛け、魚釣りをしていた。
改めて国譲りの意向を尋ねられた命は、父神に向かって「この国は、天津神に奉りましょう」と言ってすぐさま乗ってきた船を足で踏みつけてひっくり返し、青柴垣(あおふしがき)に向かって逆手を一つ打ったかと思うと、自ら覆した船の中に隠れてしまったと記紀は伝えている。
このあたりの記述に、事代主命の無念さが窺える。
逆手を打ったのは呪術であり、何かの呪文をかけたのであろうか。
美保神社では、このような神話に起源をもつとされる「青柴垣神事」が四月に、また十二月には「諸手船(もろたぶね)神事」が執り行われている。

また、この神は「えびす様」とも称されており、漁業の神、商売繁盛の神として崇拝され、にこやかに釣竿と大きな鯛を抱えた福徳円満な姿がよく知られている神でもある。
「えびす」とは、「他所の世界の異様なもの」として「海に漂着した見慣れないもの」を呼び、海の神からの贈り物として祀る風習から起こった神と言われている。
このような恵比須神は、日本神話が整えられる中で事代主命であるとされるようになったが、伊奘諾尊と伊奘冉尊の間の子「蛭子」を恵比須神とする伝えもある。
神楽で演じられる恵比須の鯛釣りの場は、結婚式などの祝いの席でよく舞われており、その神楽面もにこやかな微笑ましい表情で、身振り、手振りも愛くるしさを感じさせ、観る者をほのぼとさせる舞いである。
このように現在の神楽「恵比須」は、鯛釣り舞いとして大衆性の色濃い舞いとなっているが、詞章の中で大人と宮人が問答を交わすその口上などから勘案すると、元々は大国主神と事代主命の神徳を称え、神のお出ましを仰ぐといった舞いであったと考えられる。

この事代主命は、第21代雄略天皇との邂逅逸話に出てくる一言主神と同一神と考えられている。
古事記によると、ある時、雄略天皇は伴の者を連れて葛城山に狩りに出掛けた。
すると、装束も人数も皆そっくりな行列に出くわした。
大君が、「この大和には、我を除いて大君はいないのに、あれはいったい何者だ」と問うと、木霊のようにすぐさま大君と同じ言葉が返されてきた。
激怒した大君は矢を番えると、相手も同様に射かけてくる。
そこで名を問うと、「吾は悪しき事も一言、善き事も一言、何事も一言で言い放つ神、葛城の一言主之神ぞ」と答えたというのである。
これを聞いた天皇は恐れかしこみ、自らが佩いていた太刀や弓矢など多くの品を献上し、拝礼したという。
一言主神は手を打って喜び、その奉り物を受け取ると、長谷の山の入口まで送り届けたと古事記は伝えている。

このような語りからも分かるように、一言主神は一言で託宣を下す霊力の強い神という意味であり、それは取りも直さず、一言主神が天皇家と同等の力を誇示していたことに他ならないと考えられている。
その一言主神を祀る大豪族、葛城氏を雄略天皇は滅亡に追い込んでいる。
神は人の前に姿を見せることなどないはずであるが、この時だけは一言主神が雄略天皇の前に、忽然と姿を見せたのは何故であろう。

「恵比須」の神楽歌の中に、次のような作者不明の歌がある。
【み吉野の御狩の時に現れて いたつきませし事代の神】
この「いたつき」とは、「心を労して骨を折る」という意味の「労(いたず)く」のことであろう。
この歌を思い返すと、何かしら「国譲りの際の出雲神、事代主命」を思い浮かばずにはいられない。
そんなことを思いつつ、美保湾の向こうに見える大山を望みながら家路に着いた。

佐太神社  神魂神社  御井神社  大神神社  物部神社

太鼓谷稲成神社  須我神社  春日大社
  北野天満宮  吉備津彦神社

石上神宮  須佐神社  熊野大社