神々の抱擁

古代史と神楽に魅せられて

吉備津彦神社(岡山県岡山市一宮)

吉備津彦神社は、岡山市一宮、中山の麓に鎮座されている。
この中山には、巨大な磐座や磐境があり、古代より神の坐します山として崇められてきた。
主祭神として、第七代孝霊天皇の第三皇子である大吉備津彦命(またの名を彦五十狭芹彦命(ひこいさせりひこのみこと))を、また、相殿には大吉備津彦命の御子である吉備津彦命や、孝霊天皇、第八代・孝元天皇、第九代・開化天皇、第十代・崇神天皇、そして三輪山伝説に登場する倭迹迹日百襲姫命(やまとととびももそひめのみこと)などを祀っている。

相殿に祀られる崇神天皇は、三世紀に実在したと考えられている「御肇国天皇(はつくにしらす・すめらみこと)」と呼ばれた天皇である。
日本書紀には「天下おおいに平かなり。ゆえに称して御肇国天皇という」と記録されており、「肇めて国を御した(治めた)天皇」であると解釈できる。
つまり、日本列島に初めて国家らしい国家が出現したのが、この第十代・崇神天皇の時代であり、版図は現在の近畿圏全体に広がり、更には四道将軍の派遣によって、東は関東の一部から、西は吉備までを服属させるに至ったのである。

同じく「ハツクニシラス・スメラミコト」と称される天皇に、初代の神武天皇が挙げられ、日本書紀には「始馭天下之天皇」と記されている。
これを訓じる際に、崇神天皇の場合と同じ意味であると解釈して、「ハツクニシラス・スメラミコト」と読まれたのであろうが、しかしながら、この「始馭天下之天皇」とは、「始めて天下を馭した天皇」と読めるのではなかろうか。
同じ訓読みを論拠に、「神武天皇と崇神天皇は同一人物である」とされる学説もあるようだが、神武天皇の伝承から考えると、天下を相手に南九州から船で瀬戸内海を渡り、一旦は生駒の戦いで地元勢に撃退されるも、紀伊半島からの迂回作戦をとり、奈良盆地の南部を制して建国したのであって、政治行政機構の観点からも国家と言えるほどのものではなく、神武天皇による大和の征服であり、発展途上にある国の統治者という意味を表したものと考えられる。
この点に関しては、歴史学者でもない私が、無責任にも論じられることではないので、話を崇神天皇に戻すとしよう。

崇神天皇は「民を導く本は教化にある」として、徳をもって統治しようとしたが思うようにならず、崇神五年には疫病が蔓延して、多くの人民が亡くなり、また翌年には農民の反逆にも遭っている。
そこで天皇は天神地祇の神々に祈り、占いも行った。
その結果、孝霊天皇の娘である倭迹迹日百襲姫命が神懸りとなり、その神託によって災いの原因が大物主神であると分かり、その教えに従って大田田根子を祭主にして大物主神を祀ったのである。
すると、疫病は収まり、五穀も実って農民たちは安堵し、国土は鎮まったと伝えられている。
崇神天皇は、数々の苦しみを克服しようとして、ひたすらに神々を崇めた姿から、崇神という漢風諡号をおくられたものであろう。

このように、神の教えに従う崇神天皇であったが、一方では教化のために武力も行使した。
その典型的な例が、日本書紀に記されている崇神天皇の十年に、武渟川別(たけぬなかわけ、大彦命の子)を東海へ、大彦(開化天皇の同母兄)を北陸へ、丹波道主(たんばのちぬし)を丹波へ、そして大吉備津彦命を山陽道へと派遣した有名な四道将軍である。
崇神天皇の命で四道将軍が派遣され、大和の周辺を平定する物語である。
この説話は創作された単なる神話ではなく、平定されるルートが四世紀の前方後円墳の伝播と重なっていること、埼玉県の稲荷山古墳から出土した古代の鉄剣に、大彦の名が刻まれていたことが分かったことなどから、初期の大和政権による支配勢力が、周辺の地域へ伸展していく様子を示唆するものであるとされている。

その四道将軍の一人である大吉備津彦命は、桃太郎伝説のモデルとされている。
古代吉備地方には、百済の王子と称する温羅(「うら」または「おんら」)という鬼が住んでいたという。
温羅は製鉄技術をもたらした技術者であり、吉備地方の豪族ではないかとされているが、この集団が鬼ノ城を拠点にして悪行を重ねていたので、この窮状を救うべく、大吉備津彦命が派遣された訳である。

桃太郎伝説の所縁の地とされる場所は、全国に数多く分布しているようである。
中でも全県を挙げての宣伝活動によって、岡山県が最も有名である。
また、伝説をめぐる解釈や変遷も数多くみられる物語の一つであり、、時には、太平洋戦争の際に、軍国主義という思想を背景に「英米」を鬼に準え、成敗する子としてスローガンにも利用されたり、近年には、お菓子や野菜、あるいはゲームなどにも桃太郎から派生した用語も数多くあるようだが、伝説の根底には、他の昔話と同様に「勧善懲悪」や「因果応報」の教えが流れていると思うのである。
「悪行を懲らしめて善行を奨励し、行いの善悪に応じてその報いがある」という、そもそもの教えは今も変わらない。

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