神々の抱擁

古代史と神楽に魅せられて

春日大社(奈良県奈良市春日野町)

なだらかな長い参道を歩き終えると、そこには目にも鮮やかな朱色の社が広がっていた。
奈良公園内にある春日大社である。
園内には、武甕槌命が白鹿に乗ってきたことから、神の使いとされている鹿が戯れている。。
本殿は並列された四殿からなり、それぞれに藤原氏の祖神である天児屋根命と比売神、守護神である武甕槌命、経津主命の四神を祀る全国の春日大社の総本社である。
春日大社に代表される春日造は、切妻造・妻入りの構造で、屋根は左右に反って優美な曲線を描き、前方にも付設されて向拝となっている。

歴史的にみれば、乙巳の変から大化の改新へと続く激動の時代の主人公の一人、藤原釜足(中臣釜足)の次男であり、実質的な藤原氏の祖であるといわれている藤原不比等が、平城京に遷都された和銅3年(710年)、藤原氏の氏神である武甕槌命を御蓋山に遷して祀り、春日神と称したのが始まりとされている。
春日大社の社殿の背後に聳える御蓋山は、三笠山ともいわれ、その山容が笠に似ていることから、この名がある。
阿倍仲麻呂が詠んだ、「天の原ふりさけみれば春日なる 三笠の山にいでし月かも」という歌でも知られている。
その後、神護景雲2年(768年)に藤原永手が鹿島の武甕槌命と香取の経津主命、そして元春日とも称される枚岡神社に祀られていた天児屋根命と比売神とを併せ祀り、四殿の社殿を造営したのをもって創祀としている。
藤原氏は、不比等とその息子の四兄弟によって、繁栄の基礎が固められ、藤原氏の隆盛とともに当社も隆盛した。
例祭である「春日祭」は、賀茂神社の「葵祭」、石清水八幡宮の「石清水祭」とともに三勅祭(祭りに、天皇の特使である勅使が差し向けられる祭りを勅祭という)の一つに数えられる。

この春日神社や稲荷神社の特徴の一つでもあるのが、朱色の彩色様式である。
日本独自の色彩文化が確立されたのは平安時代といわれているが、赤という色は人々の心に与えるインパクトが最も強い色ではなかろうか。
この赤という色の持つイメージは、「情熱」や「慶祝」あるいは「活力」や「躍動」を象徴する色であると同時に、「怒り」などの激しい感情を表す色でもある。
また、私には、「五穀の実り」を象徴し、この色に込められた人々の祈りや、自然に対する尊崇の念が想い量られる色にも思える。
しかし、何故このような朱色が寺社建築の彩色様式として伝えられたのか、浅学な私には整然とした説明をすることが出来ないが、大陸からの仏教の伝来とともに、朱色の梁や柱を使った寺院建築が入り、人々を信仰に導いたとされている。

この赤という言葉であるが、その語源は「明け」であるという。
空が明け初める・・・まさに新しきものの始まり、人々を情熱をもって躍動させる「明け」である。
そして、赤系の色を総合的に表す色彩語である。
古くは、飛鳥・奈良時代に「緋」、「丹」、蘇芳(すおう)」などの表現が加わり、平安時代には「紅」という文字で赤が表されたそうである。
また、大和朝廷時代より「緋」が官人の服装の色として用いられ、紫に次ぐ高貴な色として位置づけられている。
巫女が身につける「緋袴」、中世に台頭してきた武士が愛用した「緋威しの鎧」や「緋の腹巻」などなど、その緋色に込められた思いは様々なものがあったであろう。

「緋」、「朱」、「茜」、「紅」・・・同じ赤系の色でも、それらの色一つ一つに、人それぞれの叙情詩の世界を繰り広げさせてくれる色である。
春日大社の境内にある3,000基にもおよぶ燈籠は、800年もの間、藤原氏や一般の国民から奉納されたものであり、2月の節分と8月の14日、15日の両日には、全ての燈籠に灯が灯される。
残念ながら、私はその光景を目の当たりにしたことがないが、その情景を想い描くと、王朝絵巻を見ているようでもあり、と同時に、火に込められた祖先を祀り、崇拝する日本人の精神性が感じられ、原点に返ることの大切さを教えられるのではなかろうか。
緋は火であり、霊であると私は思うのである。

「茜」の色は「優しさ、いたわり、慈しみ」を、「朱」の色は「産霊」、「豊穣」を、そして「緋」の色は常しえに続く「絆」の色であって欲しいと願いたい。

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