神々の抱擁

古代史と神楽に魅せられて

石上神宮(奈良県天理市布留町)

石上神宮に着いたのは、黄昏時だった。
この日は大神神社のあるJR三輪駅から、長岳寺までの凡そ8Kmの山の辺の道を歩いてきたのだが、普段履きなれてない靴のせいか踵が痛み始め、やむを得ず予定を変更して近くの柳本駅から電車に乗り、天理駅に向かったのである。
しかし、一段と痛みが増した踵と、なだらかに続く坂道のせいか、地図で見るより石上神宮はずっと遠くに感じられた。
途中、何度かタクシーを拾おうと思ったものの、こんな時に限って運悪く流しのタクシーは走っていないものである。
やっとの思いで辿り着いた頃には、日中の青空が曇り空に変わり、既に参道の石灯篭には灯が点っていた。
参拝者は私以外には誰一人としておらず、境内は静かに夜を迎えるように、ひっそりとしていた。

石上神宮は布留山の西北の麓に鎮座され、古事記や日本書紀に「石上神宮」「石上振神宮」と記述のある、非常に歴史の古い神社である。
この神社には本来、本殿は存在せず、拝殿の奥の聖地を「布留高庭」「御本池」などと称して祀っていた。
1874年(明治7年)の発掘で出土した布都御魂剣や曲玉などの神宝を奉斎するため、これを期に本殿が建造された神社である。
檜皮を葺いた入母屋造りの拝殿は、白河天皇が新嘗祭を行う皇居の神喜殿を寄贈したと伝えられ、国宝に指定されている。

社伝によると、御神体である布都御魂剣(ふつのみたまのつるぎ)は、大国主命の「国譲り」でその名が知られる、武甕槌命と経津主命による葦原中国の平定の際に使われた剣であるといわれている。
神武天皇の東征では、熊野において危機に陥った時に天皇の許に渡り、その後、物部氏の祖神である宇摩志麻治命により宮中で祀られていたが、崇神天皇七年、勅命によって現在の地に遷され、「石上大神」として祀ったのが創建であると伝えられている。

また、古代の軍事氏族であった物部氏が祭祀を執り行ない、大和政権の武器庫としての役割も果たしてきたと考えられている神社でもある。
この物部氏は大和朝廷で祭祀を司っていた豪族の中臣氏を従えており、日本古来からの神を信仰していた中臣氏らは、仏教を受け入れることに反対の意を唱えていた。
こうして崇仏派の蘇我氏と廃仏派の物部氏との間で、朝鮮半島の利権等が絡んだ論争が始まったのが、欽明天皇の御世の六世紀半ばの倭の情勢であった。
587年、用明天皇が崩御すると、次期天皇を巡って両氏族の対立は深まり、この結果、長く権力の中枢にいた物部氏は衰亡し、一方の蘇我氏は稲目から馬子、そして蝦夷、入鹿へと続く政権の独占へと向かっていったのである。

拝殿と並ぶ文化財に、七支刀(日本書紀には七枝刀と記述されている)という六叉の鉾(ろくさのほこ)と伝えられ、1953年(昭和28年)に国宝に指定された鉄剣がある。
刀身の両側から3本ずつ互い違いに枝が出ている鹿の角のような形をした、長さが凡そ75cmの剣で、その形状から実践的な武器としてではなく、祭祀に用いられたと考えられている鉄剣である。
明治の初期、当時の大宮司によって、刀身の表裏に銘文が刻まれていることが発見された。
この銘文は金象嵌(金線を溝に埋め込む技法)で施された表裏合わせて61文字から成っているが、腐食が著しく進んで判読が困難な文字も幾つかあるため、以来その解釈を巡って論争が続いている。
通説では、「秦四年」の文字が確認出来ることから、369年に製造されたものと解釈されているが、百済と倭国の同盟を記念して、神功皇后へ「七子鏡」一枚と「七枝刀」一振りが献上されたとの日本書紀の記述から、贈与された年の372年のものと同一の鉄剣ではないかという説もある。

また、2010年4月の新聞記事によると、七支刀は鍛冶による鍛造ではなく、鋳造によって作られたものであると、今まで定説とされた歴史学者による鍛造説を覆す分析結果が、古代の刀剣復元の第一人者の刀匠によって示された。
何れにせよ、この銘文は四世紀の倭と朝鮮半島との関係を示す貴重な文字史料であるとともに、その製造方法にも、至難な技ともいえる古代の刀匠の技には驚かされる。
ただ、この鉄剣は基本的に非公開であるため、特別な公開でもない限り、目の当たりに出来ないのが残念であるが、保存上の観点からも致し方ないことであろう。
何時の日か、この目で拝観できる日を楽しみに待ちたい。

先日、美術館で催された「高句麗壁画古墳展」を鑑賞してきた。
共同通信社が取材、撮影に成功した古墳群の壁画は、写真を通してでも当時の生活文化や思想が生き生きと描かれているのが分かり、絵画美術にも門外漢の私にも古代の息づかいが感じられた。
2004年7月、世界遺産に登録された高句麗壁画古墳群の遺物は、高松塚古墳や箸墓古墳などの壁画をはじめとする多くの遺物に大陸系の影響を与えたことが判明しており、今後の発掘調査や研究にも新たな課題と希望を投げかけてくれることであろう。

このように歴史あるもの、悠久の時を経て現在にその姿を遺しているものは、ただそれだけで言葉で言い尽くせない存在感がある。
そこには、経済至上主義では決して計ることの出来ない価値があり、「重み」がある。

佐太神社  美保神社  神魂神社  御井神社  大神神社

物部神社  太鼓谷稲成神社  須我神社
  春日大社  北野天満宮

吉備津彦神社  須佐神社  熊野大社